白石、モデルになる
白石がモデルをすることになったのは、仁王がアウトドア用品の撮影をした数か月後だった。
もちろん、何の関係もない。
それぞれ別の会社で働いていて、交友関係も違う。仁王の写真を見た誰かが白石を紹介したわけでもなければ、三人でそういうことを始めたわけでもない。
だから白石自身、まさか自分にも似たような話が来るとは思っていなかった。
きっかけは、以前仕事で知り合った人だった。
今は転職して、生活雑貨を扱う会社にいる。
久しぶりに連絡が来たと思ったら、新しく立ち上げるウェブコンテンツの撮影に出てもらえないかという話だった。
扱うのは、コーヒー器具や植物のある暮らしをテーマにした生活雑貨。
写真の中に人を入れたい。
本格的な広告モデルではなく、生活の一場面に自然に人がいるような写真が欲しい。
それで白石を思い出したらしい。
『白石さん、植物好きでしたよね』
そこまで読んで、白石はスマートフォンを置いた。
確かに好きだった。
コーヒーも好きだ。
だからといって、モデルをする理由にはならない。
一度は断るつもりだった。
けれど、その日の夜。
三人で飲んでいる時に、何気なく話したのがよくなかった。
「モデル?」
丸井がすぐに食いついた。
「まだやる言うてへんで」
「やればいいじゃん」
「なんで」
「面白そう」
「丸井くんが面白がるためにやるんちゃうねん」
向かいにいた仁王は、しばらく黙って酒を飲んでいた。
白石はその顔を見る。
「仁王くんは経験者としてどう思う?」
「やれば」
あまりにも軽かった。
「それだけ?」
「白石なら大丈夫じゃろ」
「何が?」
「知らん」
「適当やなあ」
仁王は少し笑った。
白石は仁王がモデルをした時の写真を覚えていた。
アウトドアブランドのウェブページ。
焚き火の前に座る仁王は、普段三人でいる時とは少し違って見えた。
格好いい。
それは間違いない。
ただ、格好いい以上に、写真として妙に成立していた。
本人にそう言ったら、たぶん嫌な顔をするので言わなかった。
「一日だけじゃろ?」
仁王が聞いた。
「半日」
「ほんならええじゃん」
「仁王くんが言うと説得力あるんかないんか分からへんな」
「俺は一日じゃった」
「じゃあ俺のほうが楽か」
そんな話をしているうちに、白石の中でも少しだけ気が変わった。
植物もコーヒーも扱う。
少なくとも、何も知らない商品を持って立つだけではなさそうだった。
翌日、引き受けると返事をした。
撮影は都内のハウススタジオだった。
白石は仕事へ行く時とほとんど変わらない時間に家を出た。
指定された場所へ着く。
古いマンションをリノベーションしたようなスタジオだった。
大きな窓。
白い壁。
木の家具。
部屋のあちこちに植物が置かれている。
入った瞬間、白石は少し安心した。
少なくとも居心地は悪くなさそうだった。
用意された服へ着替える。
生成りのシャツに、少しゆったりしたパンツ。
最初はその上に薄手のカーディガン。
普段の自分からそれほど離れていない。
鏡を見る。
違和感はなかった。
「似合いますね」
スタッフに言われる。
「ありがとうございます」
白石は普通に答えた。
仁王なら、こういう時どう返すのだろう。
一瞬そんなことを考えた。
最初は植物の手入れをする場面だった。
窓際にいくつか鉢が並べられている。
霧吹きを持つ。
葉を見る。
実際にやっていいと言われたので、白石は一枚ずつ状態を確認した。
すぐに気になる葉を見つけた。
少し乾いている。
隣の鉢を見る。
こちらは土がまだ湿っていた。
「これ、水やらんほうがええですか?」
スタッフが止まった。
「分かります?」
「こっちはまだ湿ってるんで」
「じゃあ白石さんの判断でお願いします」
そこからは、撮影というより普段の作業に近かった。
葉を拭く。
鉢の向きを変える。
伸びた蔓を整える。
時々カメラの音がする。
それほど気にならなかった。
問題は、その次だった。
何もせずに立つ。
ただそれだけの撮影。
白石は窓際に立った。
「もう少し右向いてください」
右を向く。
「顔だけこっち」
顔を戻す。
「顎、ほんの少し下げましょうか」
下げる。
「右手、ポケット入れてください」
入れる。
「左はそのままで」
そのままにする。
カメラマンが何枚か撮った。
確認する。
もう一度撮る。
白石は言われた通りに動いた。
しばらくして、カメラマンがカメラを下ろした。
「白石さん」
「はい」
「もうちょっと力抜いて大丈夫です」
白石は一瞬止まった。
力を入れているつもりはなかった。
「力入ってます?」
「というより……ちゃんとやってくれすぎてる感じですね」
スタッフが少し笑う。
白石も笑った。
「すみません」
「いや、全然悪くないんです。ただ、もっと適当で大丈夫です」
適当。
それが一番難しい。
休憩に入って、白石はスマートフォンを開いた。
三人のグループLINE。
少し迷ってから送る。
『モデル難しいな』
最初に返ってきたのは仁王だった。
『じゃろ』
それだけ。
白石は少し腹が立った。
『仁王くんはどうしとったん』
『普通』
『その普通が分からんねん』
しばらくして、丸井も入ってきた。
『何?今日撮影?』
そういえば日程は伝えていなかった。
『今やってる』
すぐに既読がつく。
『写真』
『まだない』
『撮って送って』
『仕事中や』
その横から、仁王。
『白石、ちゃんとやりすぎなんじゃないん』
白石の指が止まった。
まさに今、同じことを言われたところだった。
『なんで分かったん』
『白石じゃけん』
それだけだった。
妙に納得してしまった。
午後はコーヒーを淹れる場面だった。
これは楽だった。
豆を量る。
挽く。
湯を沸かす。
ドリッパーへ粉を入れる。
最初に少量の湯を注いで蒸らす。
白石はいつも家でやっているように手を動かした。
「そのままでお願いします」
カメラマンの声がする。
午前中とは違い、細かな指示がほとんどない。
白石もカメラを見なかった。
湯を注ぐ。
膨らむ粉を見る。
香りが立つ。
カップへ注ぎ、窓際の椅子へ座った。
一口飲む。
本当に飲んでいいらしい。
もう一口。
そこでスタッフの一人から声をかけられ、白石は顔を上げた。
何かを言われて笑った。
シャッター音が続いた。
撮影が終わってから、カメラマンが何枚か見せてくれた。
午前中に撮った、窓際で立っている写真。
悪くはない。
服も綺麗に見える。
ただ、自分でも少し分かった。
いかにも撮られている顔をしている。
次に、コーヒーを淹れている写真。
こちらはずっと自然だった。
最後。
椅子に座って笑っている。
白石は少し驚いた。
「これ、撮ってたんですね」
「こういうのが一番いいんですよ」
カメラマンが言った。
白石は写真をもう一度見る。
自分では、普段どんな顔で笑っているのか知らない。
写真の中の自分は、思っていたより楽しそうだった。
数枚、データをもらった。
帰りの電車で、白石はその中から一枚選んだ。
コーヒーを淹れている写真。
三人のグループLINEへ送る。
丸井からの反応は早かった。
『おお』
続けて、
『普通にモデルじゃん』
白石は少し笑った。
『一応モデルしてきたからな』
仁王からはしばらく何も来なかった。
既読だけついている。
電車が二駅ほど進んだところで、ようやく返信が来た。
『白石っぽい』
白石は画面を見た。
褒めているのかどうか、微妙なところだった。
『それ褒めてる?』
『褒めとる』
ならいいかと思った。
企画ページが公開されたのは、それから一か月ほど後だった。
白石自身は公開日を忘れていた。
昼休み。
丸井から突然メッセージが来た。
『白石いた』
スクリーンショットが送られてくる。
白石が植物の葉を拭いている写真だった。
『見つけるん早ない?』
『たまたま』
絶対に嘘だと思った。
その数分後。
仁王からも来た。
『何しとるん、白石』
白石は思わず笑った。
『仁王くんには言われたないわ』
『俺はキャンプじゃった』
『俺も普段やってることやで』
『植物触っとるだけじゃん』
『仁王くんも火いじってただけやろ』
そこへ丸井。
『モデル同士で喧嘩すんなよ』
白石はスマートフォンを伏せた。
仕事へ戻る。
その日の夜。
帰宅してから、改めて公開されたページを開いた。
自分が思っていた以上に写真が使われていた。
植物。
コーヒー。
窓際。
服。
スクロールしていく。
最後のほうに、撮影中に笑った写真があった。
白石はそこで指を止めた。
午前中、あれだけ言われた通りに立って撮った写真より。
何も意識していなかった一枚のほうが、自分らしく見えた。
仁王の時も、そうだった。
焚き火を見ている写真が一番仁王らしかった。
白石はその写真を保存した。
モデルをまたやりたいかと聞かれれば、分からない。
嫌ではなかった。
けれど、わざわざ自分からやるほどでもない。
ただ、次に三人で会った時。
仁王に撮影の話をもう少し聞いてみようと思った。
二人とも、一日だけとはいえモデル経験者になった。
残る一人は、まだ何も知らない。
白石はグループLINEを開いた。
丸井が、今日食べたらしいケーキの写真を送っている。
『これうまかった』
白石は写真を見た。
構図が妙に綺麗だった。
そういえば最近、丸井はカメラを持ち歩いている。
何となく。
次は丸井くんやったりして。
そんなことを思った。
もちろん、この時は冗談だった。