Love Fragrance ~star bible~
白石蔵ノ介の第一印象を聞かれたら、たぶん「ちゃんとしている人」と答える。
清潔感がある。話し方が穏やか。服装もきちんとしていて、仕事もできる。食事をすれば店員にも自然に礼を言うし、待ち合わせには遅れない。
あまりにも欠点が見つからないので、最初の頃は少し面白くないとさえ思った。
「白石くんって、いつもちゃんとしてるよね」
何度目かの食事で言った。白石は箸を止めた。
「それ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「その言い方説得力ないで」
笑われた。
仲良くなってから、少しずつ印象が変わった。植物の話になると長い。
一度、園芸店へ付き合ったことがある。鉢を一つ見るだけだと言っていたのに、三十分経っても決まらない。
「さっきのでもよかったんじゃない?」
「いや、置く場所考えたらこっちのほうがええねんけど、葉の感じはさっきのがええやろ」
「わかんない」
「全然ちゃうで」
真顔だった。笑うと、不服そうな顔をされた。
コーヒーにも妙なこだわりがあった。負けず嫌いだった。疲れている日は口数が減った。仕事で納得できないことがあれば、思っていたより引きずった。
「白石くんでもそんな顔するんだ」
ある日、職場の自席で珍しく眉間に皺を寄せているのを見て言った。
「俺を何やと思ってんの」
「いつも爽やかな人」
「そらどうも」
全然爽やかではない顔で返された。その顔が妙に好きだった。完璧だと思っていた人に欠点があったから好きになった、というのとは少し違う。たぶん、最初から全部白石だった。
整っているところも。面倒くさいところも。植物の葉一枚で悩むところも。悔しいことがあると黙り込むところも。
知るたびに、人間になっていくような気がした。人間になればなるほど好きになった。
そして、恋人になっても、白石はやはり白石だった。
連絡は比較的まめ。生活も整っている。会う予定もきちんと立てる。家へ行けば部屋は片付いていて、植物は元気だった。
ただ、付き合ってしばらくしてから、知らなかった白石をもう一人見つけた。
翌朝早いから、今日は帰る。
蔵ノ介にそう言った夜だった。時計はもう遅い時間を指している。
「そろそろ行くね」
立ち上がると、蔵ノ介も時計を見た。
「もうそんな時間か」
「うん」
玄関まで送ってくれる。
靴を履いて、振り返る。
「じゃあね」
「ん。気ぃつけて」
いつも通りだった。
ドアへ手を伸ばす。が、その手を、後ろから掴まれた。
驚いて振り返った。蔵ノ介自身も、少し困ったような顔をしていた。
「……どうしたの?」
「いや」
手は離れない。
「なんでもない」
「なんでもない人は掴まないでしょ」
「せやな」
小さく笑った。それでも離さない。
数秒、沈黙し、蔵ノ介の顔が近づいてくる。
朝につけていた蔵ノ介の香りははもうほとんど残っていない。
爽やかな香りの代わりに、風呂上がりの石鹸と、蔵ノ介自身の体温が近かった。
「帰したないなと思っただけ」
あまりに静かに言うので、聞き間違えたかと思った。
「……蔵ノ介も明日仕事でしょ」
「せやな」
「私も」
「もちろん知っとるで」
「じゃあ」
「せやから帰すよ」
言っていることと、手が合っていない。思わず笑った。
「何笑ってんの」
「蔵ノ介でもそういうこと言うんだなって」
「俺を何やと思ってんねん」
以前にも聞いた言葉だった。そのとき初めてわかった気がした。
この人は、感情が薄いわけではない。整えるのが上手いだけなのだ。
生活も。言葉も。自分自身も。だから普段は、熱が表へこぼれない。
「もうちょっとだけ居ようかな?」
そう言うと、蔵ノ介の目がわずかに動いた。
「……明日起きられへんで」
「白石くん起こして」
「人任せやなあ」
そう言いながら、嬉しそうだった。
靴を脱いだ。リビングへ戻る。ソファに座ると、蔵ノ介も隣へ来た。
さっきより近い。肩が触れる。何も話さない時間が少し続いた。
「ねえ」
「ん?」
「最初、蔵ノ介ってもっと完璧な人だと思ってた」
「急に失礼やな」
「でも今のほうが好き」
蔵ノ介がこちらを見る。
「植物で三十分悩むし」
「大事やろ」
「機嫌悪い日あるし」
「人間やからな」
「帰したくないとか言うし」
そこで白石が黙った。
「それは忘れて」
「嫌」
「忘れて」
「絶対忘れない」
ため息をつかれた。
でも、そのあと肩に回ってきた腕はさっきより強かった。蔵ノ介の胸元へ頬が触れる。
朝なら、いつもの爽やかな香りがしたのだろう。今はもう、ほとんどない。代わりに感じるのは、すぐそばにある体温だった。
最初に知った白石は、爽やかな人だった。
次に知った白石は、思ったより面倒くさくて、負けず嫌いで、こだわりの強い人だった。
そして最後に知った蔵ノ介は。
「ほんまに、もうちょいだけやで」
そう言いながら腕を緩める気配のない人を見上げてみた。
この人は、思っていたよりずっと熱い。
たぶん明日の朝になれば、蔵ノ介はまたいつものように身支度をする。
髪を整えて。服を選んで。いつもの香りを纏って。何事もなかったような顔で玄関を出ていく。
でも、もう知っている。
その端正な香りのもっと奥。
最後までそばにいた人間にしかわからないところに、こんな体温があることを。