ドキドキサバイバル

仁王がキャンプを始めた頃、丸井は何度か同じことを聞いた。

「お前、何がそんな楽しいの?」

最初にキャンプ椅子を買った時にも聞いた。焚き火台が増えた時にも聞いた。そのうちランタンが増え、丸井にとってもう用途のよくわからない小さな道具まで買い始めた頃には、聞くのをやめた。
仁王はそのたび、「行けばわかる」とか、「何もせんでええのがええ」とか、いまひとつ要領を得ないことを言った。

だから実際に三人で来るようになってからも、丸井には完全にはわからないままだった。

ただ、悪くはない。
それだけは認めている。キャンプに行こうと言い出したのは丸井自身だし、そもそもキャンプはけっこう好きな方ではあった。ただ、仁王が自分よりハマるなんて思わなかったのだ。

午後の早い時間にキャンプ場へ入り、設営を終える。
丸井は最近持ち歩くようになったカメラを持って周辺を歩き、白石はコーヒーを淹れていた。仁王は焚き火の準備をしている。

三人で来ても、ずっと三人で何かをするわけではない。
そこが案外気楽だった。

丸井が戻ってきた時には、仁王が薪を割っていた。

「撮れた?」

白石が聞く。

「まあまあ」

丸井は椅子に腰を下ろした。カメラを膝に置き、白石からコーヒーを受け取る。目の前では仁王が黙々と作業している。

「なあ」
「何じゃ」
「薪って現地で拾ったらダメなの?」

仁王が顔を上げた。

「ここは基本あかん」
「へえ」
「キャンプ場によるで」

白石が補足する。

「落ちとるもん勝手に持ってってええとは限らんからな。燃やして毒が出る植物とかあるんやで」
「ふーん」

丸井はコーヒーを飲んだ。そのまま何となく仁王の手元を眺める。
買ってきた薪。用意された焚き火台。水はすぐ近くにある炊事場で。クーラーボックスには、三人で途中のスーパーに寄って買った食材が入っている。今夜何を食べるかも決まっている。明日の昼前には撤収して帰る。

そこまで考えたところで、丸井の中に妙な記憶が浮かんだ。

「……俺ら昔、薪拾ってなかった?」

仁王の手が止まった。白石もコーヒーを飲みかけたまま丸井を見る。

「昔?」
「中学ん時」

丸井自身、何を思い出そうとしているのか、まだはっきりしていなかった。山ではない。もっと海が近かった。暑かった。自分たちで食べ物を探して、火を使って。

「……ああ」

白石が先に気づいた。その声で仁王も思い当たったらしい。

「あれか」
「そう、あれ」

三人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。

中学生の頃、強化合宿へ向かう途中で起きた、今考えても信じがたい出来事。
船が嵐に遭い、座礁。救命ボートに乗って、近くの島へ避難した。そこは幸いにも元々予定していた合宿所のある島。救助を待ちながら、自分たちで水や食料を確保して過ごした。

十年以上も前のことなのに、一度思い出すと妙に鮮明だった。

「俺はSOS作った気がするのう…」
「はじめて毒草の知識役立ったわ」

丸井は二人を見た。そこで、今まで考えたこともなかったことに気づいた。

「つーかさ」
「ん?」
「俺、お前らがあの時何してたか全然知らねえ」

仁王が丸井を見る。白石も少し考えた。

「言われてみればそうやな」

今なら妙な話だった。
今日何を食べたとか、どこで変なものを見つけたとか、そんなことまで三人のグループLINEには流れてくる。それなのに、中学生の頃に経験した人生でも相当上位に入る異常事態については、互いにほとんど知らない。

「俺、海側だったじゃん」

丸井が言う。

「お前ら山だったよな?」
「そうじゃ」
「せやな」

仁王と白石は同じ山側。丸井は海側。遭難という同じ出来事の中にいながら、過ごした場所が違った。

「海は何しよったん?」

仁王が聞く。

「だから薪拾ったり、食いもん探したり。炊事もしたし」

丸井は記憶を辿った。
食事の準備。狼煙をあげた。海から吹く風。ジャッカルや他の連中の顔。食べられるものを探しに行ったこと。

「あ、マンゴスチン取りに行った」

白石が笑った。

「そこ覚えとるん?」
「食いもんだからな」
「ブン太らしいの」

仁王も笑う。

「うるせえ。じゃあお前は?」
「俺?」
「山で何してた?」

仁王は少し考えた。

「水汲んだり、食えるもん探したり」
「普通じゃん」
「普通とは何じゃ」
「もっとないの?」

仁王はしばらく黙った。焚き火台へ薪を並べながら、記憶を探している。

「きのこをたくさん見つけた」
「お前も食いもんじゃん」
「食えるもんは大事じゃろ」

白石が横で笑っている。仁王は無視した。

「あと洞窟」

丸井の顔が上がった。

「洞窟?」
「あぁ。滝の裏に洞窟があったんじゃ」
「へえ」

同じ島にいたはずなのに、知らないことばかりだった。当時は目の前のことで精一杯だったのだろう。他のグループがどこで何をしているのかまで、いちいち把握していなかった。

丸井は白石を見る。

「白石は?」
「俺?」
「洞窟とか行った?」

白石は一拍置いた。

「俺は廃病院」

丸井が黙った。仁王も黙った。風が木々を揺らした。

「……何?」

丸井が聞き返した。

「廃病院」
「聞こえてた。何で?」
「何で言われても、あったからや」

仁王が眉を寄せる。

「山に?」
「山に」
「遭難した先に?」
「せや」
「廃病院が?」
「せやって」

丸井は数秒白石を見た。

「俺が洞窟探索しとる時に白石は廃病院?」
「俺に言われても知らんがな」
「白石のとこだけジャンル違わね?」

仁王が吹き出した。白石も笑う。丸井だけが納得していない。

「しかも白石、お前さん、そもそも最初おらんかったよな?」

仁王がふと思い出した。丸井が白石を見る。

「え?」
「ああ」

白石はあっさり頷いた。

「俺ら、船乗り遅れたからな」
「……は?」

丸井の声が低くなる。白石は何でもないことのようにコーヒーを飲んだ。

「金ちゃんのことでちょっとあって」
「ちょっと?」
「それで後から別の船で追いかけてん」

丸井は白石を見たまま動かない。仁王も、その辺りの詳しい事情までは覚えていなかったらしい。

「で、途中で金ちゃんが海飛び込んで」
「待って」
「何や?」
「今なんて?」
「金ちゃんが海飛び込んで」
「何で?」

白石は少し考えた。どう説明したものか迷っているらしい。

「まあ、いろいろあって」
「絶対その『いろいろ』で済ませちゃダメなやつじゃろ」

くっくっと仁王が肩を震わせて笑っていた。

「ほんで俺と謙也と千歳で小型ボート出して追いかけて」
「お前ら何してんの?」

丸井の声に、今度は仁王が完全に笑った。

「俺ら嵐で遭難したんだぞ? お前ら自分から海出てんじゃん!」
「しゃあないやろ!」
「白石らの方がよっぽどサバイバルしとるの」
「仁王くんまで言わんといて」

白石は困ったように笑った。丸井はまだ何か言いたそうだったが、やがて諦めた。十年以上経ってから突っ込んでも仕方がない。当時は当時で、全員必死だったのだ。

日が傾く頃、仁王が薪に火をつけた。三人とも話しながら手を動かしていたので、予定より少し遅くなった。

白石が食材を出し、丸井もカメラを置いて手伝う。昔と違って、食べ物は探しに行かなくていい。水も汲みに行く必要はない。食べられる植物を見分ける必要もない。丸井がクーラーボックスから肉を出した。

「すげえな」
「何がや?」
「肉がある」
「ありがたみ感じるとこそこなん?」
「だって昔、自分らで食えるもん探してたんだぞ」
「確かにの」

薪台の上に網を準備して、その上に肉を置く。脂が落ちて、小さく炎が上がった。

丸井はその様子を見ながら、ふと仁王を見る。

「でもお前、よくキャンプ好きになったな」
「またその話か」
「だって一回遭難してんだぞ」

仁王の手が止まった。白石も仁王を見る。

「言われてみればそうやな」
「普通もう自然とか嫌にならね?そもそもお前インドアだし」

仁王はすぐには答えなかった。
トングで肉を返す。火の状態を見る。その向こうには、仁王自身が選んで買ったテントがある。椅子もテーブルもランタンも、自分で揃えたものだった。

「……まあ」

仁王は周囲を見た。

「これは遭難じゃないからの」
「そりゃそうだけど」
「水もある。飯もある。寝るとこもある」
「管理棟もあるで」

白石が言う。

「電波も入る」

仁王はポケットのスマートフォンを軽く叩いた。

「何かあったら帰れる」

その言葉で、丸井は少し黙った。白石も何も言わなかった。
焚き火が小さく爆ぜる。

「明日には帰るしの」

仁王はそれだけ言って、また肉を返した。
昔は、いつ帰れるのかわからなかった。自分たちで水を確保して、食べられるものを探して、救助を待った。同じ自然の中にいるようでも、今とは何もかも違う。今日は自分たちで日を決めた。

仁王がキャンプ場を選んだ。三人で予定を合わせた。途中でスーパーへ寄った。明日の朝になれば、自分たちで片づけて帰る。遭難とは全然違う。

白石は焼けた肉を丸井の皿に移す。

「丸井くん、先食べ」
「いいの?」
「さっきから腹減った言うとるやん」
「サンキュ」

丸井はすぐに箸を取った。一口食べて、満足そうに頷く。

「うま」
「そらよかった」

仁王も自分の分を取る。三人で火を囲み、しばらくは食べることに集中した。
昔の遭難について、まだ知らないことはいくらでもあるのだろう。仁王と白石は同じ山側にいたのに、互いが何をしていたか細かくは知らない。丸井が海側で誰と何を話していたのか、二人はほとんど知らない。

あの数日間だけを取り出せば、三人は同じ出来事の中にいただけの、別々の人間だった。

今は違う。

「仁王」

丸井が肉を食べながら言った。

「ん?」
「これ明日の朝も使う?」
「何が?」
「焚き火」
「朝は使わん。カセットコンロでええじゃろ」
「じゃあ朝飯何?」
「まだ食っとる途中やろ、お前さん」
「気になるじゃん」

白石が笑った。

「遭難しとった時と変わらんやろな、丸井くん」
「何が?」
「飯のことばっかり」
「失礼だな。大事だろ」
「そこは同意じゃ」

仁王が言う。

「ほら」

丸井が得意げな顔をした。その顔を白石が笑う。火の向こうで、仁王も少し笑っていた。

昔、三人は同じ島にいた。けれど、同じ場所にはいなかった。何を食べたのかも。どこへ行ったのかも。誰と過ごしていたのかも。互いに知らないことの方が多い。

今は、一泊二日のキャンプで食べるものまで三人で相談している。明日の朝ご飯も。帰りに寄る温泉も。次に来るならどこがいいかも。
昔とはまるで違う。
夜が深くなり、キャンプ場が静かになっていく。

仁王は椅子に深く座り、火を眺めていた。あの頃とは違って、暗くなっても不安はなかった。明日になれば帰る。丸井も白石も、それを知っている。だから三人とも、何も急がない。

帰れるとわかっている山の夜は、悪くなかった。