学園祭の王子様
三人で昔の話をすること自体は、もう珍しくない。
中学時代の試合のこと。U-17のこと。それぞれの学校のこと。仁王と丸井には立海で共有している記憶が山ほどあるし、白石が四天宝寺の話をすることもある。最近では、三人とも同じ場所にいたはずなのに誰もまともに覚えていなかった出来事まで掘り返すようになった。
けれど、何となく触れない領域もあった。
「合同学園祭、あったじゃん」
金曜の夜。丸井の言葉に、白石が箸を止めた。
「……あったな」
「何じゃ、急に」
仁王はできるだけ興味がないように返した。
三人で入った居酒屋は、それなりに混んでいた。隣の席の笑い声と食器の音が重なっている。丸井は少し前から、中学時代の話をしていた。自分たちが三年だった頃。大会以外にも、今思えばいろいろなことがあった。
その一つが、複数の学校が集まって開催した、あの大掛かりな学園祭だった。
「俺ら、全員いたよな」
「俺だけ関西やったけど、跡部くんのおかげで参加したわ」
白石が答える。仁王も返事の代わりにグラスを傾けた。
いた。当然、覚えている。立海は立海で準備に追われていた。
真田や切原、ジャッカルと一緒にスマッシュDEビンゴの準備をして、別では和太鼓の練習もあった。柳生と入れ替わって遊んだ記憶まである。
何を考えていたのか。中学生だった、としか言いようがない。
「白石って、あの時山吹んとこいたよな?」
「せやな」
「何で?」
「俺に聞かれても…」
白石自身、今となっては妙な感じがするらしい。
大阪の四天宝寺から来て、山吹の面々に混じって学園祭の準備をしていた。模擬店を補強したり、買い出しへ行ったり、もんじゃ焼きを作ったり。ステージではボーカルユニットにも参加した。
「そういや白石、歌っとったの」
仁王が思い出して言う。白石がこちらを見た。
「見たん?」
「見たというか、見えた」
「何やそれ」
「俺も見た気する」
丸井も言った。
「意外と覚えてるもんだな」
「今まで忘れてたのにな」
それは仁王も思った。あれから随分経った。学園祭の細かな順番など、とっくに忘れている。けれど断片だけなら残っていた。
準備中の校内。あちこちから聞こえる音。いつもなら試合会場で見る他校の連中が、模擬店の材料や工具を持って歩いている奇妙な光景。
「丸井くんは甘味処やったやろ?」
「そう」
「似合いすぎやな」
「だろい?」
丸井は普通に褒め言葉として受け取った。
「しかもダンスもやっとったの」
仁王が付け足す。
「お前だって和太鼓やってただろ」
「やっとったな」
「二人とも結構忙しかったんやな」
「お前もだろ。歌ってたじゃん」
三人とも、今では考えられないほど学校行事に全力で参加していた。いや、当時だって本人たちは全力だったつもりはないのかもしれない。やることになったからやる。頼まれたから手伝う。
そうしているうちに、妙に濃い数日間になった。
仁王は黙って料理を取りながら”合同学園祭”というワードからいろいろ思い出してきていた。
うだるような夏の暑さ、どこに何があるかわからない煩雑な倉庫。
”暑かったから、サボりたくなるのわかりますし”
”グチャグチャになりきった倉庫の整理が嫌いじゃない?”
そこで一人思い浮かんだ。仁王は何も言わず、飲みかけのハイボールへ視線を落とした。
「そういや」
丸井が言った。仁王の感じる嫌な予感が、少し強くなった。
「あの子いたじゃん」
白石の箸が止まる。
仁王は、丸井に気づかれないように、ハイボールへ手を伸ばし、一口だけ飲んだ。
「どの子?」
白石が聞いた。
「運営委員の」
数秒。
「ああ」
白石の声が少しだけ変わった。
仁王はそれを聞き逃さなかった。丸井も同じだったらしい。
三人の視線が、なんとなくテーブルの中央に集まる。
「……覚えとる?」
仁王が聞いた。
「覚えとるよ」
白石は答えた。
妙な沈黙になった。さっきまでの学園祭の話とは、少しだけ種類が違った。
三人とも知っている人がいる。それだけならおかしくない。運営委員として、彼女はいろいろな場所を動き回っていた。
立海にも来た。山吹にもいた。
仁王とも話した。丸井とも話した。白石とも話した。
「……お前ら、その子と結構仲良かった?」
「まあ」
白石が曖昧に答えた。
仁王も何も言わない。あんまり思い出したくない甘酸っぱい出来事だった。
丸井が眉を寄せる。
「何だよ、その反応」
「丸井くんは?」
白石が逆に聞いた。
「俺?」
「仲良かったん?」
「まあ……普通に」
「普通に、のう」
仁王が言う。丸井が仁王のことを睨んだ。
「何だよ」
「別に」
「言いたいことあんなら言えよ」
仁王は少し考えた。
「ガム」
丸井の表情が止まった。白石が仁王を見る。
「ガム?」
「よう差し入れしてもろうとったじゃろ」
「お前……」
丸井の顔に、明らかに「なぜ覚えている」という色が浮かんだ。白石が笑う。
「へえ」
「違うって。差し入れだよ。普通の」
「誰も何も言うてへんやん」
「その顔やめろ」
「どんな顔?」
「面白がってる顔!」
白石は否定しなかった。
仁王も少し笑った。十年以上前の丸井のことなら、面白がれる。
「お前だってあっただろ」
突然、丸井が仁王を見る。笑うのをやめた。
「何が」
「ミニダーツ」
仁王は黙った。白石の視線がこちらへ移る。
「何やそれ」
「こいつ、あの子とやってた」
「たまたまじゃ」
「しかも二回」
「…よう覚えとるの、お前さん」
仁王は酒を飲んだ。忘れていたわけではない。ただ、わざわざ思い出すことがなかった。
準備の合間。小さなダーツ。隣にいた彼女。くだらないことを言って笑わせたこと。一緒に作業を手伝ってもらったこと。電話番号を交換したこと。帰り道。
そこまで浮かんできたところで、仁王は記憶を切った。
「白石」
今度は仁王が向かいを見る。
「ん?」
「お前さんだけ他人事みたいな顔すんのは違う」
「してへんよ」
「しとる」
丸井も白石を見る。
「そういや白石は?」
「何が?」
「何がじゃないだろ」
白石は少し困ったように笑った。
「俺は普通やって」
「信用ならんの」
仁王が言うと、白石の眉が上がった。
「仁王くんに言われたないわ」
「何かあるな」
丸井が身を乗り出す。
「ないって」
「じゃあ何してた?」
「普通に喋ったり、手伝ってもろたり」
「それだけ?」
「それだけや」
白石はそう言ってから、少し間を置いた。
「……買い出しは行ったけど」
「二人で?」
丸井が即座に聞く。
「まあ」
「ほら!」
「何がほらやねん」
「二人で買い出し行ってんじゃん!」
「丸井くんも行っとるやろ、買い出し」
「俺の話は今してねえ!」
「さっきまでしとったやん」
仁王は二人を眺めながら笑った。ところが白石がこちらを向く。
「仁王くんもデートしとったんちゃう?」
仁王の笑みが消えた。丸井がゆっくりこちらを見る。
「……したの?」
「覚えてない」
「その返事、したやつだろ」
「昔すぎて覚えとらん」
「ミニダーツ二回は覚えてたじゃん」
「お前さんが言ったんじゃろ」
「どこ行った?」
「知らん」
「仁王くん、顔に出とるで」
「出とらん」
二対一になった。仁王は少しだけ後悔した。丸井のガムなど持ち出すべきではなかった。
「白石も行ったんじゃろ」
「俺は聞かれたら答えるで」
「じゃあどこ?」
「……それは別にええやろ」
「お前も言わねえじゃん!」
結局、全員同じだった。
人の話なら聞きたい。自分の話はしたくない。十年以上前のことなのだから、今さら隠すほどのことでもない。それでも、中学生だった自分が誰かを好きになりかけていた時のことを、現在の友人二人に詳しく話すのは妙に抵抗があった。まして三人とも、同じ女の子を知っている。
仁王はふと気づいた。
「……待て」
「何?」
丸井が見る。
「もしかしてお前ら」
言いかけて、やめた。白石が察したらしい。
「ああ」
丸井だけがわかっていない。
「何だよ」
白石が少し笑う。
「俺ら三人とも、あの子のこと結構好きやったんちゃう?」
丸井が黙った。仁王も否定しなかった。白石も、それ以上は言わない。
三人の間に、今夜一番長い沈黙が落ちた。不思議だった。当時はそんなこと、考えもしなかった。仁王から見れば、丸井は同じ立海の仲間だった。白石は四天宝寺で山吹中の模擬店に参加していた。
丸井から見ても、白石は他校の人間だった。白石にとって仁王と丸井は、立海の二人。
それぞれ別の場所で彼女と話し、それぞれ別の時間を過ごしていた。誰が彼女と何を話しているのかなんて、知らなかった。知ろうともしていなかった。
なのに十数年後。三人で酒を飲みながら答え合わせをしている。
「……なんか嫌だな」
丸井が言った。白石が吹き出した。
「何が?」
「いや、別に嫌じゃねえけど。なんか嫌」
「わかるぜよ」
「仁王くんも?」
「お前さんらと昔の女の趣味が被っとったと思うと微妙じゃ」
「言い方!」
白石が笑う。丸井も笑い始めた。仁王も結局笑った。
もう昔のことだ。その後どうなったのか。誰がどこまで本気だったのか。今となっては、それぞれの記憶の中にしかない。少なくとも、三人が互いを恋敵だと思ったことは一度もなかった。
「あの頃に今くらい仲良かったら、面倒くさかったやろな」
「絶対嫌だ」
丸井が即答する。
「丸井くん嫉妬しそうやもんな」
「何で俺だけなんだよ」
「お前さん、昔からわかりやすいからの」
「仁王は何考えてるかわかんねえから余計ムカつくだろ」
「白石も大概じゃ」
「俺?」
「さらっと二人で買い出し行くタイプじゃし」
「それは学園祭の仕事や!」
「どうだか」
三人とも好き勝手に言う。
もし本当にあの頃から友達だったなら。誰かが彼女と話しているのを見て、誰かが気にしたのかもしれない。仁王が丸井をからかって。丸井が仁王に腹を立てて。白石がその横で笑いながら、実は自分も同じだったりして。
そんな夏もあったかもしれない。
けれど、実際にはなかった。あの頃の三人は、それぞれ別の場所にいた。
それぞれの仲間がいて、それぞれに学園祭を過ごして、それぞれ一人の女の子を気にしていた。それでよかった。
仁王は残っていたハイボールを飲んだ。
「この話、もう終わりじゃ」
「何で?」
白石が聞く。
「掘ったら余計なもんまで出てくる」
「たとえば?」
「言わん」
結局、その夜は最後まで、自分の恋愛について詳しく語った人間はいなかった。
けれど一つだけ、十数年越しにわかったことがある。同じ学園祭の中で、スマッシュDEビンゴの準備をしていた仁王も。甘味処の準備をしていた丸井も。山吹の面々に混じって、もんじゃ焼きの模擬店を手伝っていた白石も。
それぞれ別の場所で、同じ女の子に少しずつ惹かれていた。そして当時の三人は、そのことを互いに知らない。今の三人だけが知っている。
そんな昔話が一つくらいあっても、悪くなかった。