ある日の一日

仁王、丸井、白石のグループLINEができたのは、ずいぶん前だった。何か明確な目的があったわけではない。三人で飲むことが増えて、毎回一人がそれぞれに連絡するのが面倒になったから、だったと思う。

最初の頃は、ほとんど予定調整にしか使われていなかった。

『金曜どうする?』
『俺いける』
『俺も大丈夫やで』
『19時いつものとこでええか?』

その程度。それがいつからこうなったのか、仁王にはよくわからない。

朝八時十二分。
通勤電車の中でスマートフォンが震えた。

『見て』

丸井だった。続けて写真が一枚。コンビニの棚に並んだ、新作らしい菓子だった。
仁王は吊り革につかまりながら画面を眺めた。期間限定。濃厚キャラメル。何やらいろいろ書いてある。朝からよくそんなものを見つける。既読だけつけてスマートフォンをポケットへ戻そうとしたところで、もう一度震えた。

『絶対うまい』

誰も返していないのに、丸井は続けていた。

『帰り買う』

仁王は片手で文字を打った。

『朝から元気じゃの』
『お前が朝死んでるだけだろ』

そこで電車が駅に着いた。人の流れに押されながらホームへ降り、仁王はスマートフォンをしまった。

数分後。今度は白石から。

『これ昨日コンビニで見たわ』
『買った?』
『買ってへん』
『なんで???』

仁王は歩きながら、その四つのメッセージを見た。丸井の「なんで?」に、白石からしばらく返事がない。たぶん仕事が始まったのだろう。仁王もそのまま画面を閉じた。

それぞれの一日が始まる。


昼休み。
白石は会社近くの店で昼食を取っていた。午前中は打ち合わせが続き、スマートフォンを見る暇がほとんどなかった。席について通知を確認すると、三人のグループに未読が十数件溜まっていた。

大体、嫌な予感はする。

発端は仁王だった。

『丸井が好きそう』

というメッセージとともに猫の写真が貼られていた。道端で撮ったらしい。白と茶の猫が、植え込みの縁に丸くなっていた。そこから丸井が

『かわい』『近づいた?』『触った?』『逃げた?』

と立て続けに送っていた。

『質問多いぜよ』
『で、触った?』
『逃げられた』
『お前なんかしただろ』
『何もしとらん』
『嘘くせー』

そのあと、仁王が中学生の時に野良猫にエサをあげて怒られていた話やら、丸井が犬には好かれるのに、意外と猫に好かれない話やら続いていた。
白石は味噌汁を飲みながら、しばらく遡った。今日仕事だろうに、何をしているのだろう、この二人は。そう思いながら、

『猫は追いかけん方がええで』

と送る。数秒で丸井から返ってきた。

『追いかてない』
『ブン太はじっと見すぎなんじゃ』

仁王もすぐ返信を送っていた。

「仕事せえや……」

白石は小さく呟いた。自分も返している時点で、人のことは言えない。

『白石は猫寄ってきそうだよな』
『そうか?』
『なんとなく』
『女も寄ってきそう』

という仁王の冗談に、白石は思わず笑った。
向かいの席に座っていた同僚がこちらを見たので、何でもないと首を振る。

昼休みの終わりが近づいていた。スマートフォンを伏せ、残っていた昼食を食べる。
午後になれば、またそれぞれ仕事に戻る。三人とも別の会社で、別の場所にいる。何をしているのか、普段はあまりよく知らない。知らなくても困らない。


十五時四十分。
丸井は仕事の合間に自動販売機でコーヒーを買った。戻る途中でスマートフォンを見る。白石から写真が来ていた。窓際に置かれた植物。新しい葉が出たらしい。

『出た』

それだけ。丸井は写真を拡大した。正直、昨日との違いはわからない。

『どれ?』
『真ん中』

もう一度見る。

『これ?』

画像に丸をつけて送り返す。

『それや』
『へー』
『興味なさすぎやろ』
『ちゃんと見ただろ』

少しして、仁王も入ってきた。

『昨日と何が違うんじゃ』

丸井は吹き出した。同じことを思っていたらしい。

『だよな』
『二人ともほんまに』

白石から呆れたスタンプが送られてきた。丸井はコーヒーを持ったまま廊下を歩いた。
スマートフォンを閉じて仕事に戻る。

五分もすれば、さっきの植物のことなど忘れていた。


十八時四十五分。
仕事を終えた白石が駅へ向かっていると、また通知が来た。

今度は仁王。写真だった。自宅リビングのテーブルの上。そして何かの箱。

『届いた』

白石は一目で察した。

『またキャンプ用品?』
『そう』
『何買うたん?』

返事がない。
電車に乗ってから、ようやく来た。

『ランタン』

続けて写真が二枚。丸井も仕事が終わったらしい。

『また?』
『またとは何じゃ』
『この前も買ってなかった?』
『用途が違う』

白石はその言葉を見て、少し笑った。
仁王がキャンプ用品について「用途が違う」と言い出した時は、大抵もう止めても無駄だった。

『何個持ってんの?』

丸井が聞く。返事が途絶えた。

『仁王?』
『数えとるんちゃう?』

少しして、『うるさいぜよ』とだけ返ってきた。

数は教えないらしい。


二十一時。
丸井から、朝の菓子の写真が送られてきた。開封済み。

『買った』

白石は自宅のソファでそれを見た。仁王からすぐ返事が来る。

『どうじゃった』
『うまい』
『感想それだけ?』
『めっちゃ甘い』
『見たらわかるわ』
『でもうまい』

朝からずっと気にしていた割に、感想は三行で終わった。その数分後には、全く違う話になっていた。
丸井がテレビを見ながら気になった店を送ってきて、白石が場所を調べる。仁王が遠いと言う。丸井が、仁王はキャンプならもっと遠くまで行くだろうと反論する。
そこから次の休みにどこへ行くかという話になりかけて、誰かの予定がまだわからないので保留になった。

そして日付を超える頃には、また何の役にも立たない話をしていた。白石はベッドに入ってから、最後にグループを開いた。丸井が送った妙な動画に仁王が反応している。明日も仕事なのに、まだ起きているらしい。

『二人ともはよ寝えや』

仁王から、『おかん』と返ってきた。
丸井も、『おやすみ母ちゃん』と続いた。

白石は眉を寄せた。

『誰がおかんや』

そう送ってから、スマートフォンを充電器につないで、画面を消した。静かになった部屋で目を閉じる。


翌朝。
仁王が目を覚ました時、通知が一件来ていた。

時刻は六時五十二分。丸井。『眠い』

仁王はベッドの中でそれを見た。知らん、と思うが『寝ろ』とだけ送った。すぐに既読がついた。

『もう起きてんだよ』

仁王は少し笑った。しばらくして白石も起きたらしく、

『おはようさん』

と入ってきた。何のためにあるのかと聞かれたら、三人とも困るグループだった。

大事な連絡をするわけでもない。毎日必ず話すわけでもない。数日何もない時だってある。
今日食べたもの。道端にいた猫。新しく出た葉。買ったランタン。眠い。

そんな、わざわざ誰かに伝えるほどでもないことばかりが流れていく。
三人はそれぞれ別の家で起きて、別の電車に乗り、別の場所で働いている。

会わない日の方がずっと多い。

それでも、誰かがどうでもいいものを一つ投げれば、残りの二人がどこかでそれを見る。返したり、返さなかったりする。そうやって、互いの一日の端っこだけを何となく知っている。

仁王はベッドから起き上がりながら、グループを閉じた。

数分後。顔を洗っている間に、また通知が来た。

今度は白石だった。

『今日めっちゃ暑いらしいで』『水分ちゃんと取りや』

仁王はそれを見て、『やっぱりおかん』と送った。
すぐに白石から怒っているスタンプが返ってきた。
その少しあと、丸井が笑っているスタンプを送ってきた。

いつもの朝だった。