SOLO
仁王がソロキャンプを思いついたのは、別に一人になりたかったからではない。単純に、予定が空いていた。
十月の終わり。土曜日。天気は晴れ。最低気温は九度。風も弱い。
そして、丸井は予定あり。白石も予定あり。
それだけだった。
金曜の夜、仁王は自宅のソファで天気予報を眺めていた。
降水確率、十パーセント。翌日も晴れ。
「…………」
条件がいい。かなりいい。今シーズン、こんな週末があと何回来るか分からない。
グループLINEを開く。
最後のやり取りは昨日だった。丸井が送ってきた、どうでもいい菓子の新商品の写真。白石がそれに、『うまそう』と返している。
仁王は入力欄を開いた。
『明日』
そこまで打って、消した。丸井は予定があると言っていた。白石も同じだ。聞いたところで仕方がない。
そう思ってスマホを閉じ、しばらくテレビを見た。そして、もう一度スマホを取った。
キャンプ場を検索する。前から少し気になっていたところに、空きが一つあった。
林間の区画サイト。車横付け可。チェックイン十三時。都内から二時間弱。
予約画面を開き、利用人数。一名。
そこで指が止まった。いつもは三名だった。
「…………」
一名。
選択する。
予約確定。
メールが届いた。
仁王は画面を眺めた。
なんとなく、悪いことをしたような気がした。
別に二人に許可を取る必要はない。そもそも二人とも予定がある。だから何も言わなかった。
翌朝。仁王は七時に起きた。目覚ましが鳴る前だった。シャワーを浴び、コーヒーを飲む。荷物は昨夜のうちにまとめてある。
テント。シュラフ。マット。椅子。テーブル。焚き火台。ランタン。調理器具。クーラーボックス。
全部自分のものだった。最初の頃は白石や丸井の荷物に混ぜてもらっていたのに、いつの間にか一人分が完全に揃っている。
車へ積み込む。いつもより少ない。当然だった。
「……楽じゃのう」
車内は静かで、丸井が菓子を開ける音がしない。いつものように白石が運転しているわけではないので、仁王は眠ることもできない。だから音楽を流し、一時間ほど走る。
サービスエリアが見えてきた。
白石が「寄る?」と聞きそうだなとか、丸井が、「寄ろうぜ。なんか食いたい」と言いそうだなとか思いながら仁王はそのまま通過した。
腹も減っていない。煙草もある。寄る理由がなかった。
キャンプ場には予定より早く着いた。設営は、驚くほど早く終わった。
誰にも指示されない。誰にも邪魔されない。丸井が違うポールを持ってくることもない。白石が説明書を読んでいる横から口を出す必要もない。自分のテントだから、組み立て方も分かっている。
ペグを打ち終え、椅子を出す。テーブルを置く。ランタンを吊るす。荷物を整理する。
「…………」
仁王は立ったまま、自分のサイトを眺めた。
完璧だった。散らかっていない。余計なものもない。椅子の位置も好きに決められる。
「なかなかじゃの」
椅子に座った。静かだった。木々の間を風が通る。少し離れたサイトから、子どもの声が聞こえる。
鳥が鳴く。仁王はコーヒーを淹れた。自分の分だけ。湯を沸かし、豆を挽く。カップに注ぐ。一口飲む。
「…………」
うまい。ちゃんとうまい。
スマホを出して、時間を見る。まだ二時前。
何をしよう。焚き火には早い。昼飯は来る途中で済ませた。散歩。別にしたくない。本を持ってくればよかったかもしれない。
「…………」
暇だった。
三時。薪を割った。まだ早い。
四時。近くを歩いた。二十分で戻ってきた。
四時半。もう一度コーヒーを淹れた。
五時。日が落ち始めた。ようやく焚き火に火をつける。細い薪から火を育てていく。
これは楽しい。火が安定するまで眺める。大きな薪を一本入れる。ぱち、と火の粉が飛んだ。
「…………」
仁王は椅子に深く座り直した。悪くない。むしろ、いい。静かだ。誰にも邪魔されない。
好きな時に食べて、好きな時に飲んで、好きな時に寝ればいい。丸井に薪を使いすぎだと言われることもない。白石に酒のペースを注意されることもない。全部自分で決められる。
最高じゃろ。
そう思った。
十分後。静かだった。
二十分後。まだ静かだった。
三十分後。仁王はスマホを取り、グループLINEを開く。
何も来ていない。当たり前だ。二人とも予定がある。
「…………」
写真でも撮るかと、スマホを構える。
焚き火。ランタン。テント。
ちょうど空が青から黒へ変わる時間だった。
撮った写真を見る。
結構いい。丸井なら喜びそうだと思った。そこまで考えて、スマホを伏せた。
「……何しに一人で来たんじゃ」
十分後。写真を送った。
既読がついたのは、二秒後だった。
『は???』
と丸井。
続けて、
『何これ』『キャンプ??』『今日???』
仁王は焚き火を見ながら返した。
『そう』
『一人で????』
『見れば分かるじゃろ』
『なんで?????』
疑問符がうるさい。
『暇じゃったから』
そう送ったところで、白石も既読になった。
『仁王くんソロキャンプデビュー?』
『そう』
『ええやん』『どこ?』
仁王は少し考えた。
『教えん』
『なんでだよ』『俺ら置いてったくせに』
『お前さん予定ある言うたじゃろ』
白石から、
『寒ない?』
仁王は焚き火の前で足を伸ばした。
『今んとこ平気』
『夜冷えるやろうから気ぃつけや』
『分かっとる』
そこで会話が終わった。
仁王はスマホを置いて、焚き火を見る。
五分後。また写真を撮った。今度はテントと、木々の間から見える空。グループLINEに送る。
『星見えそう』
『めっちゃええやん』
仁王は満足気に少し笑った。
夕飯は肉を焼いた。一人だから簡単でいい。小さなスキレットに肉を置く。焼けたら食べる。次を焼く。
「…………」
静かだ。
いつもなら丸井が焼ける前に取ろうとする。
白石が、「まだ赤いやろ」と止める。
仁王がその隙に焼けたやつを取る。
「…………」
肉をひっくり返した。焼けた。食べる。うまい。もう一枚。
「…………」
三枚目を焼く。誰も取らない。全部自分の分だった。
「……多かったか」
三人なら一瞬でなくなる量なのに、半分ほど残った。
翌朝食べればいい、とビールを開ける。焚き火の前に戻った。
夜になって、星が出ていた。予報通りだった。雲が少ない。街中よりずっと多く見える。
仁王は椅子にもたれ、空を見上げた。
「…………」
綺麗だった。再び写真を撮るが、うまく星は写らない。何度か試してみたものの、結局諦めた。
そして、グループLINEを開いて、『星すごい』とだけ送った。
すぐに返事が来た。
『写真』
『写らん』
『見たい』
『無理』
『肉眼が一番やな』
『そうじゃのう』と打ったが、送信する直前で止まり、入力を消した。
そして『次来ればええ』と送った。
しばらく返事がなかった。仁王は焚き火へ薪を足した。
『行く』
『行こか』
それだけだった。
「…………」
仁王はスマホを伏せた。
火が少し弱くなっている。薪を一本入れる。ぱちぱちと音がする。さっきまでと同じ焚き火なのに、少しだけ違って見えた。
夜十一時。
仁王はテントに入った。シュラフに潜る。暖かい。マットもある。枕もある。
何も問題ないと目を閉じる。
「…………」
静か。本当に静かだ。丸井の寝返りも聞こえない。白石の、「丸井くん、もうちょいそっち行って」もない。
仁王が、「狭い」と言う必要もない。テントを一人で使える。広い。
「…………」
広すぎる。仁王は寝返りを打った。目を開ける。暗い。
「……おやすみ」
誰に言うでもなく呟いた。
翌朝。六時半に目が覚めた。テントの外へ出る。
寒い。息が白かった。けれど空は快晴だった。朝靄の向こうから光が差している。仁王はしばらく立ったまま眺めた。
「……ええのう」
コーヒーを淹れる。昨夜残した肉も焼く。
静かな朝だった。昨日より、静けさが心地よかった。
ソロキャンプも悪くない。これはこれで好きだと思った。一人だからこその良さがある。何もしなくていい。誰にも合わせなくていい。自分のペースだけで一日が終わる。
ただ、コーヒーを飲みながら、仁王はスマホを開いた。グループLINE。昨日の最後は、『行こか』で終わっている。
仁王は写真を撮った。朝の林。自分のマグ。焚き火の跡。
『朝』というテキストとともに写真を複数枚送った。
相変わらず二人からの返信は早い。
『早起きしてんじゃん』『珍し』
『うるさい』
『仁王くん、ソロキャンプ楽しい?』
仁王は少し考えた。
『まあまあ』
『また一人で行く?』
指が止まる。朝のキャンプ場を見渡す。昨日よりは、この静けさにも慣れた。また来てもいい。一人で。
それは本当にそう思う。でも。
『たまになら』『次は三人でええ』
すぐに既読が二つつく。
『寂しかった?』
『違う』
『寂しかったんやな』
『違う言うとるじゃろ』
『次いつにするん?』『十一月空いてんで』
『俺も後半なら』
仁王はカレンダーを開いて。予定を見る。空いている週末を見つけた。
『23、24』
『そこいける』
『俺も行けるで』
仁王はコーヒーを飲んだ。
『じゃそこ』
送ってから、キャンプ場の検索を始める。目の前には、せっかくのソロキャンプの朝が広がっている。なのに次に三人で行く場所を探している。自分でも少しおかしいと思う。
けれど、まあ、いい。一人で来てみたから分かったこともある。静かなのも好きだった。自分の好きなように過ごせるのもいい。焚き火を独り占めするのも悪くない。
それでも、いい景色を見た時。うまいものを食べた時。火が綺麗に育った時。最初に頭に浮かぶのがあの二人なら、次は三人でいい。
仁王は検索結果を眺めながら、条件を絞り込んだ。
車横付け可。焚き火可。十一月下旬営業。三名。
今度は最初から、迷わずそう入力した。