沼落ち不可避
仁王がキャンプ用品を買ったのは、別にキャンプにハマったからではない。
最初に買ったのは、椅子だった。三人で初めてキャンプへ行った翌週。仕事帰りにたまたまアウトドアショップの前を通った。本当に、たまたまだった。
店頭に椅子が並んでいた。この前、丸井が持ってきたやつより背もたれが高い。座面も広い。
仁王は一度通り過ぎた。十歩くらい歩いてから戻った。
見るだけ。
そう思って店に入った。
「……軽」
畳まれた椅子を持ち上げる。この前のは、もう少し重かった気がする。
値札を見る。
高い。椅子にこんな金を出す意味が分からない。
一度棚へ戻した。その隣に、さらに高い椅子があった。座ってみた。
「…………」
立ち上がり、もう一度座った。
その日の夜。
仁王の部屋に、椅子が一脚増えた。
次に買ったのは、マグカップだった。これは必要だったのだ。
前回は白石が紙コップを用意していた。別に紙コップでもいい。
ただ、焚き火の前で飲んだコーヒーは悪くなかったが、紙コップだとすぐ冷めるのだ。
だから保温できるものがあったほうが合理的だ。
アウトドア用のマグを検索した。いろいろ出てきた。
チタン。ステンレス。蓋付き。スタッキング。直火対応。
仁王は検索窓に、『キャンプ マグ 直火対応』と打った。
一時間後。色々検索し、吟味し、マグカップを一つ注文した。
ついでにテーブルも検索し始めた。テーブルも必要だった。
この前、自分の飲み物を置く場所がなかったからだ。
別にハマってはいない。
問題は、ランタンだった。これは完全に丸井が悪かったのだ。
『次これ欲しい』
三人のグループLINEに、突然写真とURLが送られてきた。小さなランタンだった。
白石が、『かわええな』と返した。
仁王は返信しなかった代わりにそのURLをタップし、商品のページを開いた。
充電式。明るさ調節可能。連続点灯時間も長い。
悪くない。しかもデザインが好みだ。
ただ、丸井が選んだ色は仁王の趣味ではなかった。別の色を見る。
こっちのほうがいい。関連商品を見る。
似たようなランタンが大量に出てくる。
「……多すぎじゃろ」
独り言を言いながら、さらに見る。
オイルランタン。LEDランタン。ガスランタン。
用途が違うらしい。
そこから先は早かった。
気づけば比較動画を三本見ていた。
翌朝、目を覚ました仁王は、枕元のスマホを取った。
通知が一件。
『ご注文の商品を発送しました』
昨夜の自分が何をしたのか、しばらく思い出せなかった。
二回目のキャンプは十一月だった。
「着いたー!」
「荷物下ろすでー」
三人で車の荷物を運ぶ。丸井がテントを出している横で、仁王は自分の荷物を降ろした。
最初に椅子。次にテーブル。その上にマグ。最後にランタン。
その仁王の姿を見て、丸井の動きが止まった。
「……仁王」
「何」
「それ何?」
「椅子」
「見りゃ分かる」
白石も振り返った。
「あれ。仁王くん、椅子買うたん?丸井くんの思ってたわ」
「買うた」
「へえ」
丸井が近づいてくる。
「ちょっと待って。テーブルも?」
「ああ」
「そのマグは?」
「俺の」
「ランタン」
「俺の」
「全部買ったの?」
「まあ」
丸井が白石を見る。白石も丸井を見る。二人同時に笑った。
「なんじゃ」
「いや」
「別に?」
「なんじゃ」
丸井がにやにやしている。
「仁王、キャンプ好きじゃん」
「違う」
「いや好きじゃん」
「違う」
「一回行っただけでこんな買う?」
「必要じゃったから買うただけじゃ」
「何が必要なん?」
白石が笑いながら聞く。
「椅子」
「丸井くんのあるやん」
「座りにくかった」
「テーブルは?」
「物置くところなかった」
「マグ」
「紙コップ冷める」
「ランタン」
仁王が止まった。丸井が待っている。白石も待っている。
「……暗い」
丸井が吹き出した。
「キャンプだからな!」
「うるさい」
「ハマってんじゃん!」
「ハマっとらん」
「完全にハマってるって!」
「丸井くん、あんま言うたら機嫌悪なるで」
「もうなってる」
仁王は二人を無視して椅子を広げて座った。
やっぱり、この前の椅子よりいい。
「それ座らせて」
丸井が言う。
「嫌じゃ」
「なんでだよ」
「自分の使いんしゃい」
「ケチ」
二回目ともなると、設営はかなり早かった。
テントを張り終えたあと、白石が料理の準備を始める。
丸井は薪を買いに行った。
仁王は自分の椅子に座った。目の前には自分のテーブル。その上に自分のマグ。横には自分のランタン。
「…………」
悪くない。かなり悪くない。むしろ良い。自分だけの秘密基地を作り上げているかのような高揚感すらある。
そんな気持ちのまま仁王はスマホを出した。時刻を見るつもりだった。
そのまま、なんとなく検索する。
『キャンプ 冬 寝袋 おすすめ』
検索結果が並んだ。仁王は数秒眺めて、画面を閉じた。
「……まだ早いの」
と思わず声が漏れた。
「なにがや?」
白石の声がした。
「何でもない」
白石が怪訝そうな顔をしてから、仁王のスマホを見る。画面は消えている。
「さっきネットショップ見てへんかった?」
「見てへん」
「そう?」
白石はそれ以上聞かず、また料理へ戻った。
仁王はしばらく待った。
白石が完全にこちらを見ていないことを確認する。
もう一度スマホを開いた。さっきのページを見る。
快適使用温度。限界使用温度。ダウン。化繊。収納サイズ。
「…………」
知らない言葉が多い。調べる。そこからさらに別の商品を見る。レビューを見る。比較する。
「仁王ー!」
遠くから丸井の声がした。
「薪持って!」
仕方なく立ち上がる。スマホをポケットにしまった。
夜。前回より気温が低かった。
焚き火のそばから離れると、すぐに寒い。
「十一月ってこんな寒いんだな」
丸井がダウンの前を閉じる。
「山やからな」
白石が鍋をかき混ぜる。
「十二月はもっと寒い?」
「そら寒いやろ」
「生きていける?」
丸井が聞いた。白石が少し考える。
「装備ちゃんとしたらな」
仁王が顔を上げた。
「装備?」
「冬用のシュラフとか。マットもちゃんとせんと下から冷えるし」
「へえ」
「ストーブ持ってく人もおるけど、テントの中で使うんは危ないから知識いるで」
「なるほどな」
「仁王」
丸井が笑う。
「何」
「今めっちゃ聞いてたな」
「聞いとらん」
「聞いてたじゃん」
「白石が勝手に喋っただけじゃ」
「仁王くんが装備って聞いたんやん」
「…………」
二対一。分が悪い。仁王は焚き火に薪を入れた。
「十二月も行く?」
丸井が聞く。
「寒いじゃろ」
「だから聞いてんの。行く?」
「知らん」
「白石は?」
「俺はええで」
「じゃあ仁王は?」
「なんで俺に聞く」
「三人で行くから」
「勝手にせえ」
「じゃあ三人な」
「話聞いとる?」
その夜。寝袋に入ってから、仁王は後悔した。
寒い。
前回は平気だった。今回は明らかに違う。地面から冷気が上がってくる。明らかに底冷えだ。
「……寒」
少し離れたところから白石が言った。
「せやから言うたやろ。十一月の山なめたらあかんって」
「白石寒くねーの?」
「俺はマットちゃんとしたやつ持ってきたから」
「ずりー!」
「言うたやん」
暗闇の中で仁王は目を開けた。
マット。やっぱり必要らしい。
「仁王」
「何」
「起きてる?」
「寝とる」
「明日マット見に行かね?」
「なんでキャンプ帰りにキャンプ用品見に行くんじゃ」
「だって次行くの十二月だろ」
「俺は行く言うとらん」
「でもマット買うだろ?」
「買わん」
翌日の帰り道。白石が運転する車の後部座席で、丸井は寝ていた。
仁王は助手席でスマホを見ていた。
「仁王くん」
「ん」
「次のサービスエリア寄る?」
「どっちでも。白石がキツかったら寄っても」
「了解」
しばらくして。
「なあ」
「なんや?」
「この辺、アウトドアショップある?」
白石が一瞬だけ仁王を見る。
「……あるんちゃう?何か買うん?」
「別に」
「ほな帰ろか」
「いや」
「どっちやねん」
「見るだけじゃ」
白石が笑った。
「はいはい」
「笑うな」
「笑ってへんよ」
「笑っとる」
後ろで丸井が目を覚ました。
「何?」
「仁王くんがアウトドアショップ寄りたいんやって」
丸井が一気に起き上がる。
「ハマってんじゃん!」
「うるさい」
「何買うの?」
「なんも買わん」
「絶対買うだろ」
「見るだけじゃ」
アウトドアショップに寄り、集合時間を決めて各々で店内を見回った。店から出てきた仁王の手には、大きな袋があった。
「何買った?」
「マット」
「だけ?」
仁王は黙った。
「仁王」
「……シュラフ」
「ほら!」
「うるさい」
白石が車のトランクを開ける。
「ええやん。これで十二月も行けるな」
仁王が止まる。
「誰が行く言うた」
「行かへんの?」
「…………」
丸井が横から覗き込む。
「行かないならそのシュラフいつ使うんだよ」
「家」
「ベッドあるだろ」
「ベランダ」
「なんでだよ」
仁王は袋をトランクへ押し込んだ。
その横には、この前買った椅子がある。テーブルもある。ランタンもある。マグもある。
今日、マットとシュラフが増えた。さすがに少し買いすぎた気はする。けれど、まだテントは買っていない。
だから。
「……まだハマっとらん」
「何が?」
「何でもない」
翌週。仁王の部屋には焚き火台が届いていた。これも必要だと感じたのだ。