Let’s Camping

「キャンプ行かね?」

丸井がそう言い出したのは、九月の終わりだった。

三人で飲んでいた金曜の夜。いつものように仕事終わりに集まって、二軒目に入ったところで、丸井が唐突にスマホをテーブルへ置いた。画面には、湖のほとりに張られたテントと、その前で燃える焚き火。

「急やな」

白石がグラスを置いて、画面を覗き込む。

「最近涼しくなってきたじゃん。ちょうどよくね?」
「まあ、十月入ったらええ頃やろな」
「だろい?仁王も行こうぜ」
「なんで俺まで確定しとるんじゃ」

仁王はスマホを見ることすらせず、枝豆をつまんだ。

「三人で行ったほうが楽しいから」
「俺、キャンプしたい言うた覚えないぜよ」
「嫌い?」
「虫が嫌いじゃ」
「夏じゃねえんだからそんなにいねーって」
「おるじゃろ」
「おるやろな」

白石があっさり肯定する。

「ほら」
「でも夏よりは全然マシやで。もう夜は冷えるくらいやし」
「白石、行ったことあんの?」
「学生ん時やけどな。あと親戚のおじさんがキャンプ好きで色々ギアとかもらえんねん」

丸井の目が輝いた。

「じゃあ決まりじゃん」
「何が?」
「白石がいればなんとかなる」
「まあ、俺を何やと思てんねん」

仁王は二人のやり取りを聞きながら、ハイボールを飲んだ。行くとも行かないとも言わなかった。だから翌週、三人のグループLINEに丸井からキャンプ場のURLが送られてきた時も無視した。

その翌日に、『ここもよくね?』と別のキャンプ場が送られてきた時も無視した。
さらに翌日。『10/24空いてる?』と送った丸井のLINEに白石が、『空いてるで』と返しているのを見た。

仁王はしばらく画面を眺めたあと、『朝早い?』とだけ送った。

即座に丸井から電話がかかってきた。

「行くんじゃん!」
「ブンちゃん、うるさい」

キャンプ当日、朝七時半。仁王は新宿の自宅近くで、白石の車の助手席に乗り込んだ。

「おはようさん」
「……おはよう。眠いのう」
「寝ててええで」

後部座席から声がする。

「仁王、おっせーよ」
「ほな行こか」

と、白石が車を出す。

高速に乗ってしばらくすると、後ろから菓子袋を開ける音がした。まだ八時にもなっていない。

「食う?」

丸井がポテトチップスを差し出してくる。

「いらん」
「白石は?」
「運転中や」
「口入れてやろうか?」
「いらんいらん」

仁王はシートを少し倒して目を閉じた。二人の声が途切れ途切れに聞こえる。途中でサービスエリアに寄るだの、昼飯をどうするだの、肉は現地のスーパーで買うだの。

そのうち本当に眠った。
目を覚ました時には、景色がすっかり変わっていた。
ビルがない。窓の外を山が流れている。

「どこ」
「お、起きたか。もうすぐやで」

白石が答える。後ろを見ると、丸井も寝ていた。

「こいつも寝たんか」
「仁王くんが寝た十分後くらいやな」
「白石だけずっと起きとったん」
「運転手やからな」

当たり前のように言う。仁王は窓の外へ視線を戻した。寝ている二人を気遣ってか、音楽もかかっていなかった。静かな車内の高速はさぞつまらなかっただろうと思った仁王は帰りは起きていようと思った。

窓の外に流れる木々は少しずつ色づき始めていた。空も広い。

「自然じゃのう」
「キャンプやからな」
「熊出ん?」
「怖いこと言わんといて」
「虫より怖いじゃろ」
「そらそうやけど」

後部座席から声がした。

「熊いんの?」
「起きたんか」
「熊って聞こえた」
「おはよう、丸井くん」
「おはよ。熊いんの?」
「知らん」

キャンプ場に着いたのは、十一時を少し過ぎた頃だった。受付を済ませ、車をサイトの横につける。
ドアを開けた瞬間、ひやりとした空気が入ってきた。

「寒っ」

丸井が言う。

「せやから上着持ってこい言うたやろ」
「持ってきたって」

仁王も車を降りる。
土と草の匂いがした。ずっと車内にいたのもあり、深く深呼吸をして新鮮な空気を吸い込む。

遠くで子どもの声がする。風が吹くたび、頭上の木々がざわざわと揺れた。思っていたより静かだった。

「仁王」

丸井に呼ばれて振り返る。大きな袋を渡された。

「何これ」
「テント」
「なんで俺が」
「三人の家」
「知らん」
「運べって」

仕方なく肩に担ぐ。その横を白石がクーラーボックスを持って歩いていった。

「まずテント張ろか」
「白石できんの?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「おじさんにもらったんやけど、はじめて張るからな」

丸井と仁王が同時に止まった。

「大丈夫か?」
「説明書あるし、いけるやろ」
「急に不安になってきた」
「なんとかなる」

ならなかった。

「そっち引っ張って!」
「引っ張っとる!」
「もっと!」
「無理じゃ!」
「丸井くん、そこちゃう!」
「え、どこ!?」
「反対!」
「反対ってどっち!?」
「仁王くん、そこ一回離して!」
「先に言え」

周囲のサイトでは、慣れたキャンパーたちが悠々と椅子に座っている。自分たちだけがやたらとうるさい。最終的に三人とも無言になった。

白石が説明書を地面に広げてしゃがみ込み、丸井がその横から覗き込む。仁王はポールを持ったまま立っていた。

「……これ」

白石が言った。

「最初にここ通すんちゃう?」
「今?」
「今気づいた」
「全部抜く?」
「……せやな」
「帰らん?」
「まだ来て一時間も経ってへんで」

結局、テントが完成したのは十二時半だった。

「できたー!」

丸井が両手を上げる。

「やればできるやん」

白石も満足そうに眺めている。
仁王は椅子を出して座った。

「二度とやらん」
「帰りは畳むぞ」
「知らん」

昼は簡単に済ませた。スーパーで買ったパンに、白石が持ってきた小さなフライパンで焼いたソーセージを挟む。

「うまっ」

丸井が一口食べて言った。

「外で食うとなんでもうまいよな」
「わかるわー」

白石も頷く。仁王は何も言わずに二本目を作った。

「仁王」
「なんじゃ」
「うまい?」
「普通」
「二個目食ってんじゃん」
「腹減っとるだけじゃ」

午後はのんびりと過ごした。それがキャンプの醍醐味である。
コーヒーを淹れて。丸井が持ってきたトランプをして。途中で仁王が飽きて。白石が近くを散歩しようと言い出して、三人で林の中を歩いた。
戻ってきたらまた椅子に座った。時間だけが妙にゆっくり進む。

日が落ちると、一気に寒くなり、白石が焚き火台に薪を組む。

「火着く?」

丸井が横から覗き込む。

「着くやろ」
「貸してみ」

仁王がしゃがんだ。

「できるん?」
「さあて、どうかの」
「不安やなー。でも仁王くんならできそうやな」

仁王は着火剤に火をつけて、細い薪を重ねていく。しばらくすると火が大きくなった。

「おお」

丸井が声を上げる。

「仁王、やるじゃん」
「普通じゃ」
「キャンプしたことあるん?」

白石が聞く。

「昔ちょっとな」
「どこで?」
「忘れた」
「絶対覚えてるやろ」
「忘れた」

それ以上は答えなかった。

夕飯は鍋にした。野菜を切る白石の隣で、丸井が肉を入れようとして止められる。

「まだや」
「もうよくね?」
「あかん」
「腹減った」
「昼もお菓子も食うたやろ」
「キャンプって腹減るんだよ」
「何もしてへんやん」
「テント張った」
「午前中の話やろ」

仁王は椅子に座ったまま、そのやり取りを聞いていた。
焚き火に薪を一本足す。ぱち、と火の粉が上がった。

夜の山は暗い。本当に暗い。少し離れた場所にいくつかランタンの明かりが浮かんでいる。その向こうは何も見えない。

「仁王くん」
「ん」
「酒取って」

仁王のそばにクーラーボックスがあった。

「何にする?」
「ビール」

一本取り出して投げる。

「おおきに」
「俺も!」

もう一本、丸井にも投げる。自分の分も取り、三人で缶を開ける。

「乾杯する?」

丸井が言う。

「何に」
「初キャンプ成功」
「まだ夜あるぜよ」
「縁起悪いこと言うなって」

白石が笑いながら缶を上げた。

「ほな、とりあえずテント張れたことに」
「そこ?」
「重要やろ」

三つの缶がぶつかった。
鍋を食べ終わっても、三人ともテントには入らなかった。焚き火の前に椅子を並べたまま、酒を飲んでいた。
昼間よりずっと静かで、薪の爆ぜる音だけがする。

「……これ、いいな」

ぽつりと丸井が言った。

「何が?」

白石が聞く。

「いや、なんか。こういうの」
「分かるで」
「何も無いじゃろ」
「何もないのがいいんだろい」

丸井が火を見ながら言う。仁王は缶を傾けた。

確かに、何もない。テレビもない。仕事のメールも見ていない。電波は一応入るけれど、スマホもさっきからテーブルの上に置いたままだ。

「仁王くんは?」

白石が聞いた。

「何が」
「キャンプ。ええやろ?」

仁王は焚き火を見た。赤くなった薪がゆっくり崩れる。

「……まあ」
「まあ?」
「思ったよりは」

丸井が笑った。

「次も来る?」
「予定が合えばの」
「じゃあ次どこ行く?十一月ならまだ行けるよな?」
「行けるで。場所によるけど」
「白石、探しといて」
「なんで俺やねん」

二人が次の話を始める。仁王は止めなかった。代わりに、焚き火の横に置いてあった薪を一本取り、火の中へ放り込む。ぱちぱちと音を立てて、新しい薪に火が移った。

「仁王」
「ん?」
「それ最後の薪」

丸井が言った。仁王は火を見た。

「……知らん」
「知らんじゃねーよ!」
「追加買えるんちゃう?」
「もう受付閉まってる!」
「ほんなら寝ればええじゃろ」

仁王も火を見たまま、少しだけ笑った。

次に来るなら。薪はもう少し多めに買ってもいいかもしれない。そう思ったことは、二人には言わなかった。