一日だけのモデル
仁王がモデルをすることになったのは、仕事でも趣味でもなかった。頼まれたからだった。
知人が勤めている会社で、アウトドア用品の小さなウェブ企画を作ることになったらしい。秋冬向けのウェアとキャンプ用品を使った特集。
スタジオで商品だけを撮る予定だったものが、途中で人も入れようという話になった。けれど本格的な広告ではないため、わざわざモデルを手配するほどの予算はない。そこでなぜ仁王に話が来たのか。本人にもよく分からなかったが、「背あるし、細いし、雰囲気あるから」そう説明された。
褒められているのか、単に都合がいいのか。たぶん後者だろう。
最初は断った。写真を撮られることが嫌いなわけではない。ただ、わざわざ休日を使ってまで撮られたいとも思わない。ところが話を聞いているうちに、撮影場所がキャンプ場だと分かった。さらに、撮影後はそのままサイトを使っていいと言われた。
仁王は少し考えた。
「……いつ?」
その時点で、だいたい決まっていた。
撮影は十一月の平日。有給を一日使った。朝七時。都内から車でキャンプ場へ向かう。
しかし、妙に落ち着かなかった。
今日はキャンプへ行くのではない。撮影に行くのだ。
現地へ着くと、すでにスタッフが準備を始めていた。仁王が想像していたより人数が多い。
カメラマン。アシスタント。企画担当。ヘアメイク。商品を管理する人。
合わせても八人程度ではあったが、三、四人くらいで撮るものだと思っていた仁王は少し面食らった。
「こんなちゃんとしてるなら、ちゃんとしてるモデル呼べばよかったじゃろ…」
ちょっと帰りたい気持ちが湧いた仁王だった。
まず服を渡された。
カーキのアウター。中には厚手のシャツ。パンツも靴も用意されている。仁王は一式を見た。
普段の自分なら選ばない。嫌いではないが、少しアウトドア色が強いファッションだった。
着替え、メイクを施され、撮影場所に向かうとスタッフが何人かこちらを見た。
仁王は居心地が悪くなった。
「何じゃ」
知人が笑う。
「いや、似合うなと思って」
「そういうのええから」
「ほんとにモデルやれば?」
「やらん」
即答した。
撮影そのものは、思っていた以上に難しかった。
最初はテントの前に立つ。ただ立っていればいいと思ったが違った。
顔を少し右へ。顎を引いて。目線はカメラではなく奥。肩の力を抜いて。手はポケット。やっぱり片方だけ出して。
注文が細かい。
仁王は言われるたびに動き、そのたびにカメラのシャッター音が続く。
しばらくすると、カメラマンが首を傾げた。
仁王は嫌な予感がした。
「仁王さん」
「はい」
「もうちょっと普通にできます?」
普通とは。
仁王は黙った。
「なんか、決まりすぎるんですよね」
知人が後ろで笑っている。仁王はそちらを睨んだ。
撮られることに慣れていないわけではない。
中学の頃から大会や取材でカメラを向けられることはあった。集合写真も嫌いではない。カメラがあれば、それなりに写る。ただ、それとモデルはまったく違った。
商品を見せなければならない。仁王自身が格好よく写ればいいわけではない。むしろ、仁王が目立ちすぎてもいけない。それが分かってから、少し面白くなってきた。
次は焚き火。
用意された焚き火台の前へ座る。火はまだついていない。
撮影用に薪を組んでいるスタッフを仁王は見ていた。
「これ、崩れるぜよ」
「分かります?」
結局、仁王が組み直した。
火をつける。いつも通り、細い薪から少しずつ育てる。
スタッフがその様子を撮り始めた。
「今のいいですね」
カメラマンの声が飛ぶ。仁王は顔を上げた。
「今?」
「あ、そのままでお願いします」
そこから急に指示が減った。
薪を足す。火を見る。ケトルを置く。コーヒーを淹れる。椅子へ座る。
どれも普段キャンプでやっていることだった。
何も考えなくていい。
仁王が普通に動いているところを、カメラマンが追う。途中から撮られていることもあまり気にならなくなった。
昼休憩の頃には、仁王も随分慣れていた。
スタッフと弁当を食べながら、撮った写真を少し見せてもらう。画面の中に自分がいた。
焚き火の前。湯気の立つマグを持っている。視線はカメラではなく、火へ向いていた。
「……これ俺か?」
知人が呆れた。
「誰だと思ってんだよ」
「いや」
普段、鏡で見る自分とは違って見えた。
当然だった。自分がキャンプをしているところを、自分で見ることはない。写真を送ってもらった。
数枚だけ仁王は保存した。
撮影は予定より早く終わり、スタッフが撤収していく。
約束通り、仁王はそのままサイトに残っていいことになった。
ただし撮影用のテントや道具は当然片づけられる。仁王は自分の車へ戻り、トランクを開ける。
そこには自分のテントがあった。焚き火台も。椅子も。
一人で設営する。一時間もしないうちに、いつものサイトができた。
撮影用に整えられていた昼間とは違う。
椅子の位置も。ランタンの明るさも。道具の置き方も。全部自分の好きなようにする。
仁王はようやく落ち着いた。
焚き火に火をつけてから、スマートフォンを開いた。昼間送ってもらった写真がある。
改めて見るが、悪くない。自分で言うのも何だが、かなり悪くないと思った。
一枚目。二枚目。三枚目。
写真を数枚見てからスマートフォンを閉じようとしたが、三人のグループLINEを開いた。
写真を一枚送ると、反応はすぐに来た。
丸井だった。
『何これ』『仁王???』
仁王は焚き火へ薪を一本足した。
『そう』
『どういうこと?』
白石も既読になった。
『めっちゃええやん』
『ちょっとモデルをやったぜよ』
しばらく、二人からは何も来なかった。
仁王はその沈黙を見て、少しだけ満足した。
『は????』
『ほんまに?』
『今日撮った』
そこまで返したところで、丸井から電話がかかってきた。
『説明しろよ!』
「したじゃろ」
『全然してねーよ!』
電話の向こうが騒がしい。
仁王はスマートフォンを少し耳から離した。
『他の写真は?』
「もうしまいじゃ」
『白石ももっと見たいよな?』
少し遠くから白石の声がした。
どうやら二人は一緒にいるらしい。
『見たいなあ』
「なんで一緒におるん」
『今飲んでてさ』
「呼ばれとらんぜよ」
『お前今日仕事って言ったじゃん』
「仕事じゃ。モデルの」
自分で言って、少しおかしかった。
結局、写真を三枚送った。
焚き火の前。テントから出てくるところ。コーヒーを飲んでいるところ。
『普通にかっこいいじゃん』
『仁王くん、こういう服も似合うんやなあ』
仁王は画面を眺めた。褒められて嫌な気はしない。
ただ、素直に礼を言うほどでもない気がした。
『服がええからの』
翌月。企画ページが公開された。
仁王自身は忘れかけていたが知人からURLが送られてきて、ようやく思い出した。
仕事の昼休みに開く。
画面いっぱいに、自分がいた。焚き火の前に座っている。
その下には商品の紹介。スクロールする。
歩いている自分。テントの前にいる自分。コーヒーを淹れている自分。
思ったより使われていた。
「…………」
仁王はページをスマートフォンを伏せた。
モデルになりたいとは思わない。
撮影そのものが特別楽しくなかったというわけではない。
何度も服を着替えるのは面倒だったし、立ち方まで細かく言われるのも性に合わなかった。
ただ、画面にいる自分は自分のようで自分ではない。
まさにイリュージョンのようで。
もう一度くらいは、やっても悪くないかもと思った。